earthing alchemie

 

生き抜くということ

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夏終わりから、デカいイノシシが家の回りを徘徊していて危険なので、
家の敷地にも先日仕掛けをしてもらいました。
そして、早朝、なんとイノシシではなく鹿が。。
IMG_7756.JPG
逃げようと必死だったのか既に衰弱しきっていました。
仕掛けしてくれた近所の猟師さんに来て頂いて、散弾銃で。。。
イノシシもトラクターで耕したくらいに、畑をえらいことしていきます。
しかし、
鹿は鹿で猛烈な数、夜な夜な田畑を荒らしにやってきます。
なので両方とも「害獣」なのですが。。
今朝は、一頭こうやって命あるものから、人によりそうでない物になるのは
「生きて行く」事の一つの過程なんだと淡々と感じました。
スーパーで並ぶもの
ご近所さんからの頂き物
動物でなくても、それが植物でも。
銃を向けられたときに、写真を撮ろうとすると
相方から「やめとけよ」と言われました。
私は残したかったけど、なんか空気がそんな感じで許されない感じになりました。
(なんやろうなぁ・・この嫌なぎこちない感じ。。。)
それも、ある意味こういう時にどう感じるか?
という、それぞれの思考なのだなぁ・・と、なんか今迄にない「変」な感じ、違和感でした。
この場所にいなきゃ、私たちが生きて行く為に摂る食べ物の
「命のエッジ」を知らないままだったかもしれません。
こんな違和感も感じなかったかもしれない。。
つい昨日の晩まで、私はここにいても知らなかったし。
植物だからOKなのか?ということでもないし。
動物だからNGなのか?ということでもないし。
そういうことではない。
みんな命があるから成長するのだし、生き抜くために営みがある。
おおきなサークルでもって巡っている、私たちは一つのパートに過ぎないんだな。
ただそう感じます。
だから「いただきます」なんだと。
私は幼稚園はお寺さんの幼稚園にかよっていました。
祖母、父、私たち兄弟姉妹 三代その幼稚園にお世話になったのだけど
お昼のお弁当の時にはみんなで
「一粒のお米も、ひとしずくのお水も、みんな頂いたものであります。
 粗末にならないように いただきます」
と合唱&合掌して、ご飯をたべました。
うちの婆ちゃんも幼稚園児の頃にはそう教わった。。。
代々いつの時代も、感謝とともに生き抜き、次の世代へリレーして。
おおきなサークルでもって巡っている、私たちは一つのパートに過ぎないんだな。
IMG_7755.jpg
鹿がかかった事が分かって興奮している、うちのワンコでさえその一つなんだなぁ・・と。
(ずっと繋がれたままで、キュンキュン鳴きっぱなしで、、ごめんよ)

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